社会人10年目を迎えた話


こんにちは。社会人 10 年目を迎えました、じょいです。

ここまで何とか働いて来れたので社会人としての半生を自己紹介がてら書いてみようと思います。
簡単に言うと私はこれまで二度転職を経験していて、営業職->エンジニアという異業種にジョブチェンジをしているという経歴です。

一社目

大阪にある商社にて営業職として勤務していました。
飛び込み営業や電話営業を主に行っていて、それはそれはゴリゴリの営業を経験しました。
勤務形態としては早出&残業からの土曜出社有りで、入社して数カ月後には立派な社畜と化しました。鳥貴族で 23 時スタートの飲み会に頻繁に参加していた頃が一番染まっていたと思います。ただ新卒で入社した自分にはこれが普通なのではと感じていた部分があったし、社会人としてやっていく厳しさを知ったのがこの時ですね。そして根性だけは本当につきました。

ここまで書くとどんどん会社が嫌になって、その結果退職したという印象を受けるかもしれませんが、決してそれだけれはないです。
当時、会計等の管理ソフトを toB 向けに販売していましたが、それをユーザ用に一部カスタマイズをして納品する業務を行なっていました。ちょこっとしたことではありましたが、その業務を「これちょっとおもろいのでは」と感じたことが後にエンジニアへ興味を持ったきっかけとなりました。

また、キャリアウーマンに憧れていて、長らく働いて生きていたいと思っていたのですが、この生活を仮に 10 年続けるのは厳しいという感情が徐々に芽生えていきました。(もっと早く気付いてくれ)
社畜として成長した私でしたが、この生活に 2 年弱で終止符を打つことにしたました。ただここでは 5 年分働いたと今でも思います。

田舎者なので、25 歳までに関東に住みたいとう野望がありました。 そこで仕事を見つけて格好よく働けたら幸せかもしれないという希望もあり、転職活動では東京を視野に入れることにしました。
先程書いたきっかけもあり、未経験でエンジニアになれないかリサーチをして、割と未経験でも募集があることを知りました。文系出身の自分でも例外では無く、エンジニアの教育に力を入れている会社に運良く内定をいただくことができました。歯が痛いと嘘をついて面接を受けにいったり、初めてリモート面接をしてもらったり、この頃の転職エピソードは別記事で書けそうなくらいのボリューム感です。

二社目

こうして、まもなく社会人 3 年目を迎えようかという頃にエンジニアとして転職ができた自分でしたが、学ぶことが想像の何百倍も多く苦労しました。8 時間のプログラミング研修後、深夜のデニーズでわかりやすい Java を抱えながら一人で勉強したことをよく覚えています。(大概のドキュメントはネット上にあることも後に学んだ)研修時間だけでは理解ができない部分が多すぎて、会社の先輩に大変お世話になりました。

研修後は EC サイトのテスターから始まり、徐々に簡単な開発を任せてもらえるようになりました。 お客さん先に行って働くというスタイルでいくつかの現場を経験しましたが、どこも優しく良い環境ばかりでした。
運がよかったのかもしれませんが、IT の現場はブラックだのという前情報とは全う世界でした。

採用活動や社内の勉強会にも参加しました。福岡や大阪に出張して採用活動をし、帰ってきたら開発の仕事をして、たまに土日に転職活動フェアに出展する手伝いをしたり。この頃は若さも相まってかなり精力的に活動していた時期でした。本当に。
それらをやりたいと手を挙げていて、いろんな事を経験したいという欲求が強かったです。 丸 4 年を迎えようとしているときに、頑張りを認めていただき社内で大きな賞をもらうことができました。副賞としてシンガポールに研修に連れて行っていただき、一生の思い出になりました。

ある意味ここでやりきった感が出たのかもしれないです。
二社目の会社には本当にお世話になりましたが、30 歳までにさらにステップアップしたいという思いもあり転職を考えるようになりました。。なぜ 30 歳なのかというと、当時の自分は 30 歳に非常に大きな節目を感じていて、根拠はないのですが 30 歳で絶対何かが大きく変わるし、死ぬかもしれないと感じていました。ここはちょっとネタっぽいが本当の話で、友人とよくそろそろ死ぬのではという会話をしてました(笑)結局先が見えてない不安から来ていた発言だったんと思いますが。

三社目

やっと現在。
今の会社に入る前後が一番活発に Tech 系のイベントに参加していました。
そこでいろんな会社の情報を聞いたり、自分の方向性を考えた結果いまの会社にいます。

もう一度しっかり努力して、エンジニアとして頑張ろうと決心の転職です。
業務としては決済系で、初めての領域。自分の知識の無さを日々実感できるよい環境で働くことができています。これは非常に重要なことだと思っていて、結局成長したいし生産性を感じたい。また、慣れや会社の制度要因もありますが、今の会社が一番自由度高く働けています。「オフィスでも家でも自由な場所で働ける」とか「時にはちょっと早く上がってもいい」とか働く上での選択肢が増えることがこんなに素晴らしいんだということを知りました。

今の会社では丸 3 年、社会人としては 10 年目を迎えました。年齢的にもベテランの域に入り、知っていることも増えているはずなのに分からない事が多い。自信をなくすことのほうが多いですが、これからもその繰り替えしなのだなと悟ってます。

「たかが仕事や」

突然ですが、10 年の経験の中で特に響いた言葉を紹介します。
これは 1 社目にお世話になった配属先の本部長がよく言っていた言葉です。10 年間でもナンバーワンに刺さった言葉!
ちょっとチームが沈んでいたり、どうしても処理できないことがあったり、気持ち的に辛くなる時が多々有りますよね。「たかが仕事や」これで大概解決していたのがその本部長でした。大変な経験を積んだからこそ言える一言だと本当に思います。
こう思うだけで精神がかなり安定するし、いまでは自分の考え方のベースになっています。

「誰も死なないから大丈夫」

これはエンジニアになりたての頃に研修の講師に言われた言葉です。
「IT って最悪なくても大丈夫なものなんだよ。昔はなかったんだから。」という会話の流れがあり、これから大きな事故や障害は絶対経験するけど、最悪誰も死なないから大丈夫って思えばいける。という助言でした。自分は今のところ人の命に関わるシステムを担当したことがないので、この言葉に助けられたことが何度もありました。これは「たかが仕事」よりちょっと極論ですが好きな言葉。

10 年経って思うこと

「人間万事塞翁が馬」という言葉の意味を日々感じます。
(京都大学の山中教授や、愛沢えみりさんを尊敬しているのですが、このお二方も好きな言葉としてあげておられました)

山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた

文学系を専攻していたから資料作りや日々の報告に役立つこともあるし、営業経験があるから人間関係を築く力が備わったし、エンジニアとしてもいろんな現場でやってこれたから今があると思います。無駄なことはないと思うし、失敗だっていつかは飲み会のネタにもなります。本当に。

10 年超えたけどもうちょっと頑張ってく。